新型コロナウイルス対策(閑話休題)-7

今まで当たり前の日常だったものが、当たり前ではないことが認識されたのは武漢肺炎の感染者拡大のお陰かも知れないです。

自分自身として内省することは 下記の3つです。

1:当たり前として毎日 目が醒めて起きて生活できること。

2:家族や友達などと共にこの時代を生きていること。

3:毎日の変化に翻弄されている実感。

漠然と今までの生活がこれからも同じように続いていくというようなことは大きな錯覚だったということが今回の武漢肺炎で認識されたことは自分の中では大きなことでした。

2011年にも 日本で起きた東日本大地震の際にも偶然に?日本で遭遇したときにもこれほど明確に自分の足元の不安定さを認識できませんでした。

昨年の香港のデモ活動の際にもすぐに目の前で警官とデモ隊が衝突していても 今回の武漢新型肺炎のように恐怖は感じませんでした。

客観的な事実で毎年インフルエンザや交通事故や自殺者で多くの人の命が奪われていたこと見聞きしても今回のような得体のしれない恐怖は感じませんでした。

さて、今回の件は突き詰めると 哲学的に言えば偶然に産物でこの世に生まれてきた自分は何をこの世に残して去っていくのか?という問いかけられたような気がします。

振り返ると多少の回り道もありましたが、典型的な戦後の日本人の人生を送ってきたような気がします。幼稚園 ~大学 ~ 上場企業~役職定年~現在顧問という人生で良かったのか? 外出自粛の中!改めて自分自身に問いかけるには良い機会だと思います。