思い起こせばー1

3月11日といえば 東日本大震災の日ですが、もう香港では噂にものぼらなくなってしまいました。 もっとも香港の借り物の場所の文化として移り気なのは仕方ないですが、昨年のデモ活動 今年の新型コロナの件で 喧騒とした街がすっかり静まってしまっています。

2011年3月11日は 丁度 日本の会議で当時はまだお茶の水に会った本社に挨拶にいって 本社から出た直後起こったのでした。 はじめは地面ではなく私が眩暈だと思ってのですが、ニコライ堂の前で ガードレールにしがみついていたおばさんの叫び声で 我に返ると電線は揺れていて 丸の内線が地上に出たところで 止まっているのが見えたので、地震だと認識したら本社ビルの隣の学習塾のビルの側面がはがれて落ちてきました。

今思うと それほど長い時間ではなかったと思いますが、当時は凄く長く映像が曲がったような感じが続いていたような気がします。

当時 所属していた国際事業部は新宿にあったのでホテルを新宿ワシントンホテルにとっていたため お茶の水から新宿まで移動する必要がありましたが、公的な交通機関はすべて止まっていたので 諦めて歩こうと思いお茶の水の駅前の丸善で 東京の地図を買って店の外にでたところ 丁度 タクシーが拾えて何とか?新宿ワシントンホテルまで辿り着きました。

その際に途中で信号で止まるたびにいろんな人が相乗りを依頼してきたのですがタクシーの運転手曰く タクシーは相乗りはダメだそうです。そのタクシーの運転手の自分が帰れなくなるので私を送ったら会社に戻るとのことでした。

ある意味とてもラッキーでしたが、ホテルに戻ると会社から帰れない人が多いので 私はたばこを吸わないので 私の部屋を会社の女性に明け渡して 私は他の海外からの出張者の部屋に相部屋で止まるように指示だ出て、タイから会議に参加していた人の部屋に行きました。その時点でホテルの近くにコンビから食品はすべて消えていたので タイから来た人にお金を渡して何か?飲み物を買ってくるように依頼したのですが、彼はウイスキーのボトルを買ってきました。 まあ 確かに飲み物にちがいありませんが。。。

結局 夜中の3時まで映らないTVを見ながら二人で馬鹿話をして過ごしたのがついこの間のように思い出されますね。

翌日 東海道新幹線は動いていたので 成田から帰る飛行機便をキャンセルして(成田空港は閉鎖だったので )関空から香港に翌日戻りました。

二つ目のラッキーは関空まで公的交通手段が翌日生きていたことです。

2011年4月に 香港から日本に戻ったのですが、香港の人たちからは 異口同音に今の日本に戻るのは危険だという危惧でした。

2020年3月11日の時点で 新型コロナウイルスでは 日本の方が香港より感染者が多いので 同じように今 日本の行くのは危険だと言われています。