アドバイザーとしての修行の旅 3(香港の日本語学校の校長)

昨年度 香港人スタッフに日本語を教えていただいてもらった香港人日本語学校の校長と先日お昼ごはんを食べながら校長先生の今後の生活の拠点と仕事に関してアドバイザーをさせていただきました。 

前提条件として 校長先生は十数年 香港で香港人相手に日本語を教えているが、事業(この場合は日本語学校)を拡大するつもりはない。以前 日本に住んでいて日本のアパレル関係の学校を卒業してその後新宿で居酒屋を経営していたので再度日本で仕事がやりたい。理想は遊びながら日本の各地を回って生活ができれば越したことはない。先日も2週間ほど日本に行き日本語の生徒と一緒に北海道、日光、東京都などレンタカーを借りてドライブしてきたばかりである。

遊びながら仕事になることって還暦を過ぎた私の頭では想像できないが、息子達をみているともう私のような大学卒業して1つの会社で定年近くまで働くことは珍しい時代で

同じ業界で会社を変わる転職パターンではなく業界自体がAIの進化で無くなってしまう可能性もある世の中なのであくせく働くよりは遊びが仕事になる時代になるかもしれないと思いました。さて アドバイスさせていただいたアドバイスは次の3つです。

1:今までのキャリアを生かして 教育関係の仕事を教室での対面授業ではなくウエブでの授業に変える。

2:教育ツールを作ってネットで販売する。

*以前 留学していたイギリスでは単語を覚えるおもちゃみたいな商材があってとても良かったということなので今までのキャリアを生かして世界中で使える教育ツールを開発販売する。

3:教育事業以前に習っていたアパレル関係の知識を活用してアパレル関係の商材をネットで販売する。→ アパレルといっても幅広いので、扱う商品を下着に絞って使いやすい下着を開発してOEMで製作工場を見つけてその会社とタイアップして営業支援をして稼ぐ。または 逆に語学が堪能なので すでにある会社の下着の会社の営業支援を語学を生かしておこなう。

ただ 上記のどれも遊びながらってっていうわけには行かないので、私が考えるノマド的な仕事はこれくらいのレベルが限界だということがわかりました。